月とライカと吸血姫(星町編) 著:牧野圭祐
この物語は「銀河鉄道の夜を越えて」( H△G「青色フィルム」収録 )より着想を得て「月とライカと吸血姫」( 著 : 牧野圭祐 / イラスト : かれい / 小学館「ガガガ文庫」刊 )とコラボレーションした作品です。
「これは、今から半世紀以上も前の話。
人類が月に降り立つ前の物語――」
#1@星町
無限に広がる暗闇に、草山丹花(ペンタス)が咲いている。
それは、宇宙でまたたく無数の星。
それは、ミサの心を掴んで離さないもの。
ミサの瞳を輝かせる、時空を超えた光。
果てることのない神秘的な光景にミサが魅入られていると、機械音声のアナウンスが流れる。
≪本日はご乗車、誠にありがとうございます。当列車は『海王星ステーション』を出発しました≫
ミサは我に返る。
宇宙を旅する列車に乗っていたんだ、と。
ずいぶん遠くまで来てしまった。
地球は遙か彼方。もう影も形もない。
ミサは車内をぐるりと見回す。
19世紀の高級ホテルのような美麗な装飾。
ふかふかで心地よい座席。
上品な洋灯(ランプ)。
ミサのほかに乗客はいない。
あまりにも静かで、心細くなってくる。
ふと、帰りの切符を持っていない気がした。
慌ててスカートのポケットを探るが、はたと手を止める。
「まあ、いっか。戻らなくても……」
車窓に映り込む自分の顔を見て、ミサはうんざりと前髪をいじる。
学校。勉強。塾。両親。友だち。恋。将来。夢。
地球での悩みごとがつぎつぎと浮かぶ。
振り払おうとしても頭から離れない。
全部忘れたい。
このまま、宇宙の果てまで行けたらいいのに。
このまま、どこまでも。
「はぁ……」
ミサが深いため息を吐くと、ロウソクの火が消えるように、星々はいっせいに輝きを失った。
窓の外が真っ暗になる。
車内に闇がじわりと滲んでくる。
≪――お客様にご案内申し上げます≫
≪――つぎは、死の星……≫
よどんだ冷気が首すじをなでる。
≪――アケローン河を通過しま……す……≫
漆黒の物体の濁流を通過する。
「……え?」
いつしか列車の壁も椅子も消え去り、気づくとミサは宇宙に放り出されている。
空虚な空間をたゆたう黄土色の球体に引き寄せられていく。
「死の星……」
絶望的な引力には抗えない。
背後に身の毛もよだつ気配を感じる。
心が暗黒にからめとられる。
身体が動かない。
いや、動いたところで助かりはしない。
死にたくはない。
でも、もう仕方ないのかもしれない。
それでいいのかもしれない。
全宇宙を探したって、救いは見つからないから。
気持ちをわかってくれる人は、もういないから。
だからミサは考えるのをやめた。
血液が闇に溶け出し、孤独が染み込む。
身体が凍り、視界がかすむ。
意識が消失し、永遠の眠りに落ちる。
そのとき。
(……ミ……サ)
その声は、遠くから、いや、すごく近くから聞こえた気がした。
(……ミサ)
包み込むように温かく、切り裂くように冷たい。
色や形のない不思議な声が。
心に届く。
(ミサ!)
背中をドンと叩かれる感触。
その衝撃でミサはハッと目を開けた。
眼下には机。国語の教科書。ゆっくりと顔をあげると、目の前にはセーラー服の背中が見える。
あれ……?
頭の中がぼんやりとしたまま、窓の外に目をやる。
しかし、そこには星の海も黄土色の球体もない。
土ぼこりの舞う運動場。黄色に染まりはじめた銀杏の葉。うろこ雲の広がる空。
いつもの風景。
ここは死の星ではない。
宇宙旅行できる未来でもない。
黒板の日付は1964年11月9日。
星町女学院高等部、2年A組の教室だ。
……居眠りをしていた。
教師には気付かれていないようだ。ミサは額に浮かんだ汗を指先でぬぐい、安堵する。
ふだんは授業中に居眠りなどしない。睡眠不足のせいだ。昨晩、目を閉じると小さな悩みがつぎつぎと浮かんできて、なかなか寝つけなかった。
悩んでいるとはいえ、夢のように「死んでもいい」とは思っていない。同年代の少女ならば誰もが抱えているであろう軽いものばかりだ。
だから、どうしてあんなひどい夢を見たのだろうと、ミサは心のなかで苦笑する。それになにより、宇宙を走る列車なんて。幼稚園児の空想のようで、非現実的にもほどがある。
つまらない授業を聞き流しながら夢の内容を思い返していたミサは、ふと、ひっかかりを覚える。
最後に名前を呼んだのは誰?
この学校にミサを名前で呼ぶ者はいない。夢の中の声かと思うけれど、背中をドンと突かれた感触がはっきりと蘇る。
ミサはそっと首を回し、後ろの席を確認する。
だが、その席の主であるアリアは欠席だ。
正確に言えば、今日も欠席。
アリアは4月に転校してきたのだが、これまで転校初日しか登校していない。もう11月だというのに、たった1日だけ。そして、ミサはその日にちょうど風邪で休んでいたため、彼女に会ったことがない。
そんなアリアは、もはやクラスに存在しない扱いだった。出席を取られることはなく、一番後ろの窓際に席だけが置いてある。
欠席の理由は「体調不良」とされていて、本当のところは誰も知らないが、一部のクラスメイトはこう噂している。
「吸血鬼だから昼間に出歩けないのかも?」と。
異国生まれのアリアは、透きとおるようなブロンドの髪で、肌が白くて、瞳が赤くて、八重歯が覗いていた。耳は髪に隠れていたが、外見はまさに吸血鬼だったと。
不登校の原因は、もしかして転校初日にイヤなことを言われたからではないだろうかとミサは気になっていた。
アリアを直接見ていないのでなんとも言えないが、本人が耳にしたら傷つくような噂をするクラスメイトたちが苦手だった。「吸血鬼」と陰口のように言われて喜ぶ人はいないだろうから。
一般的には『呪われた種族』とみなされてきた吸血鬼。星町では見かけないが、その一族は世界各地にいる。
東の大国である『ツィルニトラ共和国連邦』の周辺には、ごく少数の<純血の吸血鬼>が今も生きている。
西の大国である『アーナック連合王国』には吸血鬼の血を引く<新血種族>が多数暮らし、人間といがみ合いながらも共存している。
種族名は一見おどろおどろしいが、人を襲って血を吸うことはないとミサは小学校で習った。
外見に「赤い瞳、尖った耳、鋭い牙」という特徴はあるものの、身体的な数値は人間と変わらない。
吸血鬼が人間と異なる主な点は、日光に弱く、寒さに強く、夜目が利き、味覚がないこと。
人間の血が入っている新血種族に至っては、味覚が若干異なるだけで、外見を除けばほぼ人間だ。
ではなぜ『呪われた種族』なのかと言えば、中世に教会が敵役を作るために悪い噂を広めたから。それを聞いたとき、ミサは少し哀しくなった。
そんな吸血鬼一族だが、近年は社会進出が目立ちはじめている。
今から4年前、1960年に史上初の宇宙飛行士となった共和国の女性飛行士<イリナ・ルミネスク>は純血の吸血鬼だ。
当時、イリナは17歳だった。
ミサはそのことをニュースで聞いたとき、開いた口が塞がらなかった。今年、ミサは当時のイリナと同じ17歳になったが、今の自分には宇宙飛行など絶対に無理だ。
一方、連合王国では、新血種族の才媛<カイエ・スカーレット>が宇宙開発のコンピューター部門を引っ張っている。
彼女たちの活躍で、吸血鬼に対する負のイメージは薄れつつある。
だが、極東の島国の小さな町においては、吸血鬼はいまだに未知の種族だ。小説や昔話で描かれてきた『人外の怪物』という印象が強く、ミサも恐怖心がないと言えば嘘になる。実際に会ったら、きっと目をそらして道を譲ってしまうだろう。
☆ ☆ ☆
帰りのホームルームで担任が告げる。
「今夜は『星祭り』。夜に出歩いてもいいけれど、羽目を外しすぎないように」
教室中の生徒が笑みをこぼす。ミサの通う女子校は校則が厳しく、夜遊びは厳禁だ。しかし、祭りの今日だけは特別に許されるのだ。
年に一度開かれる星祭りは町を挙げての大きなイベント。町の中央を流れる川沿いは星形の提灯で幻想的に彩られ、河川敷には夜店が並び、たくさんの人々で賑わう。
ミサの周囲ではクラスメイトたちがうきうきと予定を立てて盛り上がる。しかしミサは誰とも話さず、カバンを手にそそくさと教室を出る。
控えめでおとなしい性格のミサは輪のなかに入れず、集団にも馴染めない。休み時間はいつもひとりで本を読んでいる。
昔からそうだった。
目立つところはなく、勉強も運動もふつう。
誰かに一目惚れされるような外見でもない。
すべてにおいて自信がない。
この学校にとって、いや、世界にとって、自分はいてもいなくてもいい存在。
ミサはそう思っている。
そして、そんな自分がミサは嫌いだった。
☆ ☆ ☆
星見が丘にある『ハイツ星町』。
各地から集まった多種多様な人々が暮らす大型マンションに、ミサは生まれたときから住んでいる。
「ただいま」
薄暗い玄関にミサの声がこだまする。返事はないが、いつものことだ。
会社員の父は単身赴任中。母は菓子工場で働いていて帰宅は夜遅い。
台所に作り置かれた夕食を横目にお茶を一杯飲むと、ミサは居間へ入る。そして着替えもせず、ソファーにごろんと寝転ぶ。
今夜は塾。それまで少しだけ横になって休憩する。
最近「受験戦争」という言葉が使われはじめた。ミサの世代は競争を強いられる最初の世代だ。
19年前に戦争が終わった直後、この国は困窮し、人々は日々の暮らしで精いっぱいだった。
しかし経済が急成長して生活に余裕が生まれると、こんな考えが一般的になった。
「幸福な人生を送るには、いい大学に入り、いい企業に就職すること」
そしてミサが望むと望まざるとにかかわらず、社会が決めた『いい人生』を強制される。
星祭りの今夜くらいは塾を休みたいとミサは思う。けれど、塾があってよかったという相反する気持ちもある。
それは、いっしょに行く友だちがいないから、予定が入っていたほうがいいということ。
中学3年生までは、幼なじみのカレンとふたりで星祭りに行っていた。
星祭りだけではない。ミサにとって、カレンはたったひとりの親友だった。
しかし高校へ上がるとき、カレンは遠くの町に引っ越してしまった。その別れぎわがとても気まずくて、ミサの心は痛んだままだ。
カレンと離れて以来、ミサはずっとひとりでいる。会わなくなって1年半も経つが、いまだに傷口はふさがらない。
きっと、永遠にふさがらない。
全部、自分が悪いのだから。
☆ ☆ ☆
カーテンの隙間から柔らかな光が差し込み、ソファーで眠っているミサのまぶたをくすぐる。
「……ん」
目を覚ましたミサは、まだ眠い目をこすりながら光の先を見る。
紫と橙色の入り混じった夕闇が町に降りている。
まどろみながら時計を見ると、もうすぐ午後6時半だ。
また居眠りしてしまった。睡眠不足とはいえ、どうしてこんなに眠くなるのだろう?
首をひねったミサは、もう一度時計を見て、重大なことに気づいた。
「って!? 遅刻っ!」
塾は午後6時半からだ。
カバンをひっつかんで家を駆け出たミサは自転車で飛ばして松並木を走り抜ける。
☆ ☆ ☆
塾に来た生徒はミサだけだった。
初老の講師は教室を見渡して肩をすくめる。
「毎年この日になると、急に風邪が流行るんだ。キミも休むかと思ったよ」
祭りのために仮病で休む生徒が多いのだ。そんなつもりはなかったミサだが、反論せずに頭を下げる。
「遅刻してすみません」
「いいんだ。今日は休みにしよう」
「え?」
「キミひとりだけ、先に進めるわけにはいかないからね」
いつもは厳しくまじめな講師がみんなの欠席を怒りもせず、それどころか休みにするなんて。
ミサが不思議に思っていると、講師は首をかしげる。
「ところでキミは星祭りに行かないのかい?」
「はい、塾があったので……」
「今からなら間に合うよ。行ってらっしゃい」
「でも、私は……」
「いいから。さあ、ほら、早く」
なかば強引に塾を追い出されたミサは、自転車の前で途方に暮れる。
目の前を、星祭りへ向かう人たちがぞろぞろと通り過ぎていく。
今夜は町全体がふわふわしている気がする。
もしかして、講師も祭りに参加して「星見酒」をぐびぐび飲みたいのではないか?
「星祭りか……」
夜空を見上げると、まん丸な満月と目が合った。
やけに眠くなるのは満月だからかもしれない。
さて、どうしよう。
家に帰って冷たいご飯を食べるか、それとも星祭りに行くか?
少し考えたが、ミサは自然と星祭りの会場へ向かっていた。いっしょに行く相手がいないとはいえ、 年に一度の催しだ。雰囲気だけでも味わってから家に帰ろう。
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